明治時代の初期(1870年ぐらい)までは「湿田」がほとんどで、腰まで土につかりながら田を耕していた!

明治時代の初期(1870年ぐらい)までは「湿田」がほとんどで、腰まで土につかりながら田を耕していた!

今回のテーマですが、前回の記事を書いていて知り驚きました。

前回の記事は、ジブリアニメ映画「となりのトトロ」から、昭和28年頃の農作業などを、学んでいました。

となりのトトロに見る、田植え、水田管理、ごはんの釜など、昭和28年頃のこだわりが凄すぎる22か所と疑問。

農作業が進んでいくことからも、時間の経過を表現している「となりのトトロ」は本当に、今見て、なおさら凄いと、その素晴らしさが知らされます。

今回の記事のきっかけは、引っ越しのあいさつをしているときの背景の、馬耕による代かきが、きっかけでした。

調べていると、驚きの事実が知らされました。

今回はその紹介です。

今、学校の登下校、会社への出勤の途中など、車の中電車の中などから見える田んぼの様子は、3~4月はトラクターで耕耘していて、その後水を張り代掻きをしています。

5月は、水田で田植え機による田植えをしていると思います。

6~8月までは、放置されているように思われるかもしれませんが、朝、夕、田んぼの水管理に回っています。

日中も、畦畔の除草や農道の除草やら、追肥やらでひっきりなしで止まることなく動いています。

9月になると稲刈りでコンバインがいたる所で稼働し、そばによると「はしかく」感じる方が多いと思います。

「はしかい」とか「はしかく」といいます。

ときどき、知人と話していると、「何、その言葉?どういう意味?」と聞かれることがあります。

稲刈りの時、そばによると、腕や顔や露出している部分が、かゆくなったりしませんか。

それを、石川県白山市の地区では、「はしかい」とか「はしかく」とか言います。

別に、「痒い」でもいいんです。

けれどなぜか、「はしかい」の方がしっくりきます。

話は戻りますが、10~11月は、トラクターで耕耘している様子を見ることがあると思います。

最近の農作業などは、そういった感じです。

4月~8月ぐらいまでは「水田」、それ以外は「乾田」の様子です。

ですが、明治時代の初期(1870年ぐらい)までは「湿田」だったということですから、一年中ずっと水がたまっていたり、ベチョベチョしていたと思われます。

子供が落ちようものなら、底なし沼のようでに、もがけばもがくほど、沈んでいたのかもしれません。

そういった危険地区が、身近に散在していたものと思われます。

当時の写真から窺うと、大人が腰まで田んぼにつかりながら大きなクワをもって田んぼを耕耘しています。

いよいよ、1870年以降は「乾田馬耕(かんでんばこう)」というものが推奨されるようになり、一年中「水田」というものがなくなり、現代のような5~8月は「水田」、それ以外の時期は「乾田」と、なったようです。

それにしても一年中「水田」ではなく「湿田」だったということは、おそらく、ドブのように田んぼは臭かったのかもしれません。

田んぼの中で腰までつかって仕事していたら、ドブの匂いが体に染みついて、なかなか大変だったのではないかと、思います。

「乾田馬耕(かんでんばこう)」とは、シーズンが終わったら田んぼを乾かして、それから馬を用いて耕すことです。

それが、ちょうど「となりのトトロ」の時期、昭和30年代から、手押しの「耕耘機」というものが開発され普及し、今の人がのるトラクターになったようです。

そう思うと「となりのトトロ」の昭和28年頃は、農作業の「馬から機械」への転換期だったことが分かります。

「となりのトトロ」は、奥深いですね。

当時の農作業の様子、アイテムなどの写真を見たい方は、こちらのサイトをお勧めします。

クボタのサイトです。↓

鍬(くわ)や鋤(すき)を使った「田起こし」

 

それにしても、その当時のお米の品質ってどうだったんでしょう。
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