上農は草を見ずして草をとる

ひさしぶりの庄内は、相変わらず鈍色の空。鶴岡駅周辺は人もまばらで、雪交じりの強い風は、この地方らしいやり方で私を歓迎してくれました。学生時代5年ほどの時間を過ごしたこの地を訪ねたのは、人生をそろそろ振り返ろうというわけではなく、自然栽培の研究をされている粕渕辰昭先生にお会いするためなのでした。粕渕先生は、自然栽培における、中耕除草(注)の大切さを研究と実際のコメ作りで明らかにされていて、前々からお話を伺いたいと思っていました。田んぼ作業がないこの時期に押しかけていいですかとお願いすると快く承諾してくださいました。
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粕渕辰昭先生。穏やかな笑顔で迎えてくださいました。
粕渕先生は、現在、山形大学名誉教授。土壌物理学を専門に研究され、山形大学には教官として17年にわたり勤務されました。ちょっと話が変わりますが、山形大学は、いわゆるタコ足大学で、教養課程(大学一年次)は山形市小白川キャンパスで学び、二年時以降鶴岡市(農学部)や米沢市(工学部)に移動します。今思えば不思議な巡り合わせで、ちょうど私が専門課程に移るころ、先生もまた山形大学農学部に赴任されたのでした。しかも、このころ大学は全国的に改組(学科や学部のありようをいじること)が盛んで、カリキュラムも結構かちゃかちゃになっておりまして、ほんらい林学の学生だった私が、農業工学に所属されているはずの粕渕先生の講義を聞くことができたのでした。
粕渕先生は、これまで、エネルギーや物質が土の中をどのように流れるのか、あるいはそれをいかにして測定するかといった土壌物理学におけるメジャーな分野で研究をされてきた方です。それがどうして自然栽培に興味をもち、さらにはご自身で栽培をするに至ったのか。粕渕先生に話をうかがうに、10年ほど前のある出会いが運命的なものだったのだと思います。毎年日本のどこかで行われているトンボサミットが、山形大学農学部で開催されたときのことです(全国トンボ市民サミット庄内大会in鶴岡)。退官まであと2年というこのとき、粕渕先生は、請われて実行委員長を引き受けました。このトンボサミットの会場で、荒生秀紀さんその人に出会ったのでした。当時、会社員をやめ有機栽培によるコメ作りを始めていた彼は、その後、修士課程の学生として粕渕先生のもとで学ぶことになりました。この出会いが無肥料・無農薬、いわゆる自然栽培の実践へのきっかけとなり、以来9年にわたる大学農場(山形大学農学部附属フィールド科学センター高坂農場、以下農場)でのコメ作りへのスタートポイントとなったのでした。
さて、荒生さんの研究テーマについて、バリバリの土壌物理学ではなく、自然栽培を選んだのは、荒生さんが水稲栽培そのものに興味があるというだけでなく、粕渕先生にとっても是非確かめたいことがあったから。以前、片野学著「自然農法のイネつくり」を読んだときに、面白い記述をみつけます。
熊本県天草郡新和町で四月移植の早期栽培に取り組む山角和好氏は除草機押しを道楽にしている。氏は活着後二、三日おきに合計10回以上押している。収量成績は新和町の平均単収を常に上まわる好成績を残している。除草機を押すと数日後には葉色が黒くなることは古くから知られており、土壌中のチッソが無機化されていることを示している。
除草機を押すことが、実は、除草そのもの以上の効果があることを、実にさらっと書いてあります。つまり、除草機を押すことが追肥(あとから肥料をほどこすこと)をふるのと同じ効果があるというのです。これが事実かどうかを確かめるため、農場に田んぼを借りうけ、無肥料・無農薬によるコメ栽培を荒生さんとともに始めます。最初に借りた田んぼは決して条件の良いところではありませんでした。けげんな様子な周囲をよそに、8回除草機を押し、収穫のときを迎えました。十分な収量が得られることがわかると、粕渕先生にとって今まで仮説だったものが確信に変わったのでした。すなわち、除草機を押すこと自体に施肥効果がある。ではそのメカニズムはなんなのでしょう。
イネの生育期間中に8回も除草に入ったら、草なんてもうすっかりなくなってしまいます。いつもきれいなものです。それなのに効果があるというのは、土をかき混ぜることに意味があることを示しています。はて、そのココロは何か?田んぼに水をはると、土の表面に様々な微生物が繁殖します。こうした微生物のうちラン藻や光合成細菌が大気の窒素を固定することは古くから知られています。土をかき混ぜると、当然ながらこれらの微生物は土のなかにすきこまれ、更地になった土の表面にはまた新たに微生物が繁殖します。除草機を押すことが、知らず知らずのうちにこのような作用をもたらしているのではと思い至ります。ここまでくれば、あとは測定。それはもう専門家ですからお手の物。調べてみると一日あたり田んぼ1反(1000 m2)あたり100 gの窒素が固定されていることがわかりました。しかし、このような作用は太陽光が届く、土表面のごく薄い層(2 mm以内)でしかおこりません。この窒素は菌の体にとりこまれた状態で存在するので、この狭い空間で微生物が飽和してしまうと窒素も増えようがありません。この表面の土をかき混ぜることで、土表面での微生物の繁殖を促すとともに、より深いところへ窒素をすき込むことができるのです。
すごい発見だ。と思ったとき実は先人がすでに見つけているという話はよくあることです。そう考えた粕渕先生は、明治以前の農書を読みあさります。そうすると出てくる出てくる。多くの文献が田んぼを何度もかき混ぜるのがよいと伝えています。中には、「中打ち8遍、犬を餓死させる」とあり、中耕を8回するとクズ米が出ないのでイヌにやるご飯がなくなるという意味だと説明されています。つまり、単に量がとれるだけでなく、品質も高いということです。そういえば、「上農は草を見ずして草をとる」というのは、けっこう有名なセンテンスですよね。これも江戸時代の農書にある言葉なのです。私はこれまで、早め早めに仕事をした方がいいよぐらいの意味だと思っていたのですが、田んぼの土をかきまぜることの重要さを認めた今、私自身のあさはかさに打ちのめさるのでした。嗚呼。
さて、そろそろ、この有意義な会見も終わりそうなころあいになって粕渕先生がこうおっしゃいました。最近荒生さんに「だんだん農家になってきましたね。」と言われとても嬉しい気持ちになったと。研究者として大学教官として業績を重ねた方が「農家」と呼ばれてうれしくなるのを不思議に思う方も多いかもしれません。でも、農学は農業と一心同体なはずで、農業そのものにかかわり農家として認められるというのは研究者にとって行くべきところへたどり着いたというべきでしょう。現在、農学は細かく分け隔てられたそれぞれの分野で、それぞれに研究が進められています。こうした傾向は強くなるばかりで、おのずと農学が農業と隔絶していきます。まあだからと言って研究者ばかりを責めたいわけではありません。研究者は業績をあげ、研究者のコミュニティで勝ち残っていかねばなりません。ちょうど土の表面に住む微生物のように狭い世界で。しかし農業そのものはその下のより深い土のなかで立ち働いているのかもしれません。ここでもやっぱり「かきまぜる」ことが大切になってきているようです。
注: 中耕とは、作物がある状態で周囲を浅く耕起することで、土の風化を促したり草を減らしたりする効果がある。