海とのかかわりから自然栽培を考えてみる

先日、石川県羽咋市(能登半島の入口あたり)にて自然栽培の稲作をされている越田ご夫妻(和波波Quintet)のはからいで、海藻研究所の新井章吾先生のお話をうかがうことができました。当初のふれこみでは、海藻を田畑で利用する話をされると聞いていたので、こうやって使うのだみたいな実践的な話なのかなと思っていたのですが、ふたを開けてみれば、現在の地球のありよう、人間の立ち位置、さらに自然栽培とは何かについて考えさせられる幅広い内容でした。
IMG_0650.JPG海藻を田畑にまくという行為自体は、かなり昔から行われていて、ローマ時代二世紀ごろの文献にも記述があるそうです。海藻は、ミネラル、ビタミンやアミノ酸を豊富に含むため、こうした微量な要素が不足した現代の圃場では効果があることでしょう。さらに海藻がもつ植物ホルモンが作物の成長を促進する効果もあるようです。が、このブログではとりあえずそういうテクニカルな話はしません。私たちにとって最下流に位置する海から養分を含んだモノをもちあげてきて利用するということの重要性についてちょいと考えてみることにします(新井先生についてや海藻利用の実践的な内容について詳しくは現代農業2016/8こちらをどうぞ)。
いきなり、馬鹿でかい話になりますが、地球は、太陽からの強烈な光を浴び熱をうけとっています。この熱が水と空気の循環をつくりだすことで生物の世界(もちろん人間も含む)がなりたっています。もし循環がなかったら水は全部海に流れ込んで終わりです。重力があるから。ところが、熱によって低いところの水が温められると蒸気となって雲となり雨となってまた上から下へと流れていくのです。この水の流れは、土や養分を下流に、最終的には海まで流します。といっても全てが水といっしょに海に直接でてしまうのではありません。私たちがふだん見ている川の水は早く流れ去る部分です。でも、一部の水は土に保持されゆっくりとした流れになっています。日本ではもうあまり見られないですが、自然の河川の周囲には湿った場所を好む(あるいは耐えられる)草木が生えています。その地下では見える川の部分と熱やモノを交換しつつ、水は土のすきまを通って下流方向の海に向かってゆっくりと流れています。本来、山から海までの水の流れは線ではなく、川の表流水と地下の地下水を含めて面なのです。さらにいうなら、このような水とモノのゆっくりした流れが生命をはぐくみ、そうした生命を流れる水もまた川の一部です。
ところが、洪水調節に重きをおいた現在の河川改修が、こういうゆっくりした流れを大幅に縮小してしまいました。降った雨は最速で流下させる。人さまに必要な分の水はダムにとっておく。というのが基本的な考え方です。本来は、地表や小川をゆっくり流れることで水が地下に浸透し、地下のケイ素などのミネラルを伴う湧水が、下流側のため池、河川、水田の底から面状に湧き出します。ところが地下に供給される水が減るとこうした湧水も減少してしまいます。結果的に、最近では、田んぼにケイ素を含んだ肥料をまくという時代になってしまいました(ケイ素はイネの体をつくる重要な元素のひとつです)。さらに用水の取り方も変わりました。昔、用水といえば、上の田んぼから順々に落ちてくる田越し灌漑や、用水として取りいれた水をまた用水に戻す用廃兼用水路が一般的でした。このような水路だと、上の田んぼの水が下の田んぼで再利用されます。ところが現代は、用水と排水がきっぱり別ラインなので排水は排水としてそのまま川に捨てられてしまうのです。たとえば、大雨が降った日、土を含んだ大量の水が流れてきます、しかし取水口(大きな水門)を閉じますから用水路にはながれず、そのまま川を流れ去ってしまいます。晴れた日、用水を流れる「きれいな」水を田んぼにとりいれます。これでは細かい粘土や養分がなかなか供給されないと思います。さらに、代かきしてすぐの泥水を流してしまおうものなら、田んぼはやせるばっかりです。こういうことをもう何十年もつづけているんです。今まで大丈夫だったから今後も大丈夫と自信をもっていえるでしょうか。
さて、じゃあ、そういった問題は海岸の海藻をもってきて足りない栄養をどんどん投入すればいいっての?と聞かれれば、そうはいいません(それに、海岸に打ち上げられた海藻を利用する生き物もいるだろうし、根こそぎもってくるのもよくないかと思います)。そうじゃないんです。海藻を使わなくても、それぞれマグネシウムだの石灰だのといったミネラルを入れることはできます。肥料屋で売っているので。でもそうした肥料はだいたい海外のどこかの地べたを掘り起こして、加工して、運んできたものです。そこにかかるエネルギーも問題なんだけど、それ以上に問題なのはそこに循環がないことです。海藻を田畑で使えば、ミネラルがまた海へ流れ出て海藻に利用され、またそれを田畑に使うという循環が成立する可能性があります(下水道の問題もあるんですが)。
わたしたちは、いろんな自然のプロセスをすでに断ち切ってしまっているので、「なんにもしない」でいれば「自然だね」ということにはなりません。この先、なんとか地球でうまくやっていこうという気があるなら、場合によって適度な介入をすることが人類の責任でもあります。海藻を利用するというのはそのひとつの手段ではないでしょうか。他にもいろいろできることがあるでしょう。速い流れとゆっくりした流れのバランスや、循環を作り出すことを考えて。
自然栽培=肥料ヤラナイというというイメージですが、どうしたらそれが可能になるのかを考えなければなりません。本来の自然環境の中では、微生物が有機物を分解して作り出した無機栄養分や岩が風化してでてきたミネラルが、土壌表面近くの地下水の流れによって上流から農地に供給されることによって継続的な栽培ができたのでしょう。現在、そうした地下水の流れは大小のコンクリート建造物により分断され、「自然ではない農地」になっています。あるべき流れの中で栽培を行うということを考えれば、より望ましい自然栽培(別の名前が必要かな)が生まれてくるに違いないと思うのです。